アクセルとブレーキ
人生思い通りにしたい。それゆえに思い通りにいく範囲でしか物事を進められないのかもしれない。
無茶苦茶なことがしたい、「普通」に捉われたくない、そんなことを考えながら、
「普通」の評価軸で見られたときに思い通りにいかないことを恐れて、そういうフリをしているのかもしれない。
だけど、キチガイにも天才にもなれなかった。
失敗を恐れず、失敗してもそれを糧に次に進んでいく、という生き方はできない。
自分の判断・選択は、最善手ではないかもしれないが、今ここにある自分を否定はしたくないし、
正当化して洗脳しているのだ。
わたしだもん、大丈夫だって。自分で決めたことだもん。
周りにどうこう言われても、自分の人生なのだから。
責任とって生きてくよ。だから、責任があることがしたくないんだよ。他人の命なんて預かれないし…。
と言いながらも過去をよく振り返るし、あのときこうしていれば、というアナザーストーリーも考える。
今だって、本当にこれでいいのか、どうしたらいいのか、先のことを少し考えたりもする。
ただ長時間悩むのは得意でないため、ある種見ないふりをしてアクセルを踏み続ける。
時々甘いブレーキを踏んで、それが不安として纏わりつく、アクセルで振り切れればいいのに。
(この部分だけを切り取って今日のタイトルにしてみましたよ)
結局シガラミから逃れることはできなくて、記憶から無くすくらいの衝撃を頭に与えるしかなくて、
そうだったの、忘れたな、知らないな、なんていうフリをして誤魔化すしかない。
傷ついたり、傷つけたりしないように麻酔をかけるだけだ。
そうして私は聖母になるとか言ってみたりして、批判しているナイチンゲールと同じようなことをしているだけなのかも。
それでも私を好きでいてくれるなら、まあ、それでもいいかなって。今のところはね。
他人の欠落を指摘するけど、私も似たようなもんだよ。
歳を重ねて、社会的な大人の立場になるために、一生懸命生きている、只の子どもです。
みんなそうだよ。
結局みんなみんなみんな同じです。
宗教とか、概念とか、他人とか、縋れない自分は結局プライドが高くて、
自分とそれ以外というだけの世界に生きている以上、自分でどうにかするしかない。
文字を書くのも、人と話すのも、頭と胸のごちゃごちゃをある程度形にする凝固剤です。
摂取して排泄するまで同じこと言えないよ。
もっと有意義な文字を打つつもりだったのに、結局高校生から成長がないね?
自分に課している行動指針でいつか爆死するのかも。
だけど、自分に甘いので、きっとノタレジヌまで、こういう生き方をするしかないのです。
まあなんとかなるでしょ。だって、ずっとそうだったんだからさ!
と、つらつら文章を書いてみたけど
中身はネアカです。こういう文章書く癖って抜けないんだね?こわ。